プロフィール

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わたしの最終目標

わたしの最終目標
「老若男女・健常者・障害者など関係なくみんなが自分の強みを持ち寄って集まれるコミュニティビレッジ」 を”みんな”で作ること。

アラウンド50thって

このサイトは先に記載した最終目標を達成する仲間を集めるために自分を知っていただく目的で2015年に立ち上げました。
同時にそれまで、いくつかに分散して公開していた趣味のサイト、仕事のブログ、facebookなどをこのサイトに集約しました。

わたしはこんな人

わたしは「企業の営業を支援する」という事業を行っています。

小さな頃から社長になると決め、2009年の2月(40歳)に18年間努めたIT系の一部上場企業から独立し、現在の会社を立ち上げました。

今は営業が苦手な会社でも、当社が開発したコンピュータシステムと営業代行によって、営業を効率的に行っていけるサービスを行っています。

起業の経緯と目的

元々、わたしは幼い頃から皆を集めて団体で何かをするということが非常に好きな子供でした。

小学校5年生のときに、同じ学年の友人たちを集め会社形式にした「一日一善友の会」なる団体を作り、そのときに将来社長になると決めました。

中学に入ってからも、ダンスパーティやライブを企画するなどして、いつも次はどんなことをすれば皆が喜ぶ企画が立てられるかということをいつも考えているような子供でした。

そんなわたしでしたので、社会人になってからも、色々な遊びや趣味を楽しんでは、色々な人たちとコンタクトを取り情報を交換したり集まるのが好きでした。

30代前半の頃、趣味で始めた木工を地元で広めたく、千葉で友人と木工クラブの運営を始めました。

そこで色々な人との関わりを持ちました。

この木工クラブの運営をしたことで、自分の生涯の目標が定まった気がします。

木工クラブでは自分の親よりも高齢の方や、女性の方、障害を持った方、外国の方など様々な方が「木工」という1つの共通する趣味で集いました。

不思議なことに、それぞれの立場の違いがあるにも関わらず、そのコミュニティで違和感を持つことがまったくありませんでした。

むしろ皆がイキイキとそれぞれの興味や疑問、作品などを共有しました。 そこには、みんなで楽しみ、笑い、悩み、解決するという空間がありました。

その環境でわたしが気づいたことは

「そうか共通する趣味や目的があれば年齢も障害も国籍も簡単に超えられるんだ」ということでした。

そうだ!これだ!これを自分の生涯の目標にしよう!

ボランティアじゃない、哀れみじゃない、一緒にいると楽しい仲間だから一緒にいる空間!

そんなの出来たら素晴らしい!

単純なので(^_^;)、その夢がムクムクと広がり、あんなこといいな、出来たらいいな!という感じで得意の妄想力?で独立の夢が広がりました。

小さい頃からの独立するという目標と、生涯の目標が完全に合致した瞬間でした!

はれて独立・恐怖の1年半

わたしは40歳で会社を辞めると決め、そこまでに学べることはサラリーをもらっている間にやっておこうと、会社の経営に近い仕事を積極的にさせてもらいました。

良い上司の方々にも恵まれ、わたしがしたい仕事をほとんどやらせて貰えました。

わたしはサラリーマン時代に習得したスキルを活かし、営業システムと営業コンサルティングという2つの事業を主軸にする計画で、自信満々で晴れて、独立!

リーマンショックの数ヶ月後という、これまでにない不況で、タイミングとしては最悪でしたが「ここがドン底なら上がるしかないじゃん、むしろラッキー」くらいの気持ちで独立しました。

ところが、そこから1年半まったくといっていいほど売上が立たない生活になったのでした、、、、、。

妻と中学1年生を筆頭に3人の息子を抱え、独立しましたがまったく売上が立ちませんでした。

自分が大手の企業で養ってきた知識や、考えていたビジネスは中小企業ではまったく興味を示してもらえませんでした。

また信用のない1人起業者に大きな仕事を任せようという企業はありませんでした。

ダイレクトメールをだそうが、電話営業、飛び込み営業をしようがまったく仕事が取れない。

退職金の貯金がみるみる減っていくのが怖くて、ジュースを買うのも惜しくて、毎日ペットボトルに自宅で水をいれて営業に出ていました。

今でも覚えています。渋谷で飛び込み訪問をしているとき、雨が振ってきて1社1社の門をたたくも、ほとんど門前払い。

雨でふやけた踵が靴ズレし、皮が剥け、靴の内側が血で滲みました。

コンビニでバンソウコウを買い、雨の降る公園のベンチに一人座りバンソウコウを貼っていたとき

「この先の生活の不安」と「自分は結局、何の才能もないのでは無いか」という無力感、そして孤独感、とてつもない恐怖、なにより家族に対する申し訳ない気持ち、絶望に近い心境でいっぱいになりました。

誰にも相談することも出来ない、逃げることも出来ない不安の中で、家族だけは路頭に迷わすことは出来ないという思いだけで、ただひたすら自分が出来ることを模索し、実施してみる。これを繰り返すだけしか出来ませんでした。

夜は眠れずベッドから見える月に手を合わせて祈ったこともありました。

とても長く、眠れない、苦しい時間でした。

この最も苦しい期間、自分を支えてくれたのは、やはり多くの友人でした。

ビジネスにつながりそうな企業をご紹介いただいたり、

「仕事にならないかもしれないけど会ってみて」と友人をご紹介いただいたり、

「うちの会社の営業と一緒に回ってください」と2ヶ月も営業に同行させていただいたり。

本当に、多くの人々に助けていただきました。

この不安な時期、多くの方が支えてくれていると実感できたことが、どれだけ自分の勇気や力になったか分かりません。

独立から1年半が過ぎた頃、今の我社の主軸になるサービスが完成すると同時に事業が少しづつ軌道に乗り出し、今は家族5人食べていく心配をすることはなくなりました。

自分を助けてくれたのは、素晴らしい人々との「出会い」と「つながり」でした。

わたしの使命と仕事での目標

今でもあの時の公園のベンチのことを思い出すと、とても怖くなります。

わたしは長年のビジネスで自分に自信もありました、また五体満足でいざとなれば何をしてでも食べていけたと思います。

体に障害を持ち、外で働けない人や、年齢などで思うような仕事につけない人、働きたいのに様々な事情があって仕事がない人がたくさんいます。

本人だけでなくその家族も人生に希望が持てないと聞きます。

それは単にお金だけの問題でなく、社会との接点という意味でも大きな不安があるというだと思います。

わたしが思い描いていた「趣味でみんなが繋がれる」なんていうのは、わたしがサラリーマン時代に世間を知らず、お金がない恐怖を知らないときに描いた妄想だったのではとさえ思うようになりました。

皆が幸せになるには、趣味より先に、まず「生活の安定」が不可欠なんだ。

「生活の安定」には仕事、「仕事」がうまくいくためには「営業は必須」。

自分がうまく行った方法はそのまま多くの起業したての人や、事業がうまくいっていない企業にも、きっと喜んでもらえるはず。

今は、まずは当面の目標として自分が得意なシステム、営業で1人づつでも良いので誰かの力になれたらという思いでビジネスをしています。

もちろん自分のビジネスだけでは最終目標に到達することは出来るとは思っていません。

なので、色々な人の賛同を得て、それぞれの強みを持ち寄って「みんなの力」でこの夢を実現していきたいと思っています。

このホームページでは、プライベート面ときにはビジネス面の情報を発信することで、少しでも自分の夢に共感・賛同いただける方と知り合うこと、そして賛同いただいたみんなで大きな夢を実現していきたいと思っています。

わたしの最終目標
「老若男女・健常者・障害者など関係なくみんなが自分の強みを持ち寄って集まれるコミュニティビレッジ」 を”みんな”で作ること。

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※この目標にわたしがイメージするキーワード。

仲間、幸せ、協力、共生、ボランティア、コミュニティ、シェアハウス、ツリーハウス、福祉施設、保育園、老人ホーム、モノ創り、音楽

趣味とわたし

小さい時から色々なものを「創造し作りあげる」ことが好きでした。
「ものを作る」、「遊びの集団を作る」、「曲を作る」など、面白いと思えばどんなジャンルにでも自然と興味が湧く子供でした。
特に完成させるまで、どのように作るか工程を想像することがとても好きでした。
一方、職人的に何か技術(手に職的な技)を追及することにあまり興味はなく、その技術がなくても同等に出来上がる仕組み作りや、人間関係によって生み出されるアウトプットに非常に興味があるのです。
ですので、悪い面としてはある程度自分で納得できるところまで行くと飽きてしまう性格です。

音楽/DTM

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趣味でバンドを行っており、ギターを担当していました。
バンドは中学2年生から大学を卒業するまで、ロックやメタルなどのコピーから始めオリジナル曲などをライブハウスで演奏していました。
社会人になってからはバンド活動は行っておらず、主にDTM(デスクトップ・ミュージック)を30代後半くらいまで行っていました。

スポーツ

学生時代はボクシングをしていました。

昔のマンガ「あしたのジョー」や「がんばれ元気」などに憧れ小学校の頃からボクシングに興味を持ち、
よくマンガ雑誌の裏に記載された通販チラシかり、サンドバックやグローブなどを購入し練習したりしていました。

そして大学3年のときにシンガポールで開催された国際試合にライトフライ級(48Kg以下)の日本代表で出場しました。
体重の割には身長があったため、完全なアウトボクシング、またボクシングだけはサウスポースタイルで行っていました。左を制するものは世界を制する?的な理由でサウスポースタイルにしました。

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アウトドア

子供の頃はマンションに住んでいましたが、裏に林があり、毎日のようにそこで基地を作ったり、木や竹で刀や弓矢を作ったりして遊んでいました。また冒険的なことも好きで知らない場所に行ったり、探検したりするとわくわくします
そういった意味もあってかキャンプが好きで小学校の頃は親に連れられ、その友人たちと。
大人になってからも友人や、家族とよくキャンプに出掛けました。
今は子供たちも成長し、一緒にキャンプにいくことはなくなりましたが、簡単な車中泊による一人旅を楽しむようになりました。

管理人 熊谷 竜二

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